Minimalenkon

れんこんが辛子レンコンになっていく過程

食事が芸術ではない理由って?

こんにちは、こんばんは、湿気に弱いれんこんです。

 

前の記事で、ファッションは芸術なんかじゃない!とボロクソ書きましたが、今回はさらに世間に喧嘩を売っていきたいたいと思います。

 

 

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美しい盛り付けの美食ですよ!奥様! 

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和食もこれまた、素晴らしい繊細さを持ったお料理です。

 

ん〜、食事というだけでなんとも満足できそうですが、ここは男レンコン。

 

 

ぶち壊します。

 

料理は和洋折衷問わず、その盛り付けの美しさが注目されますよね?

確かに、品のある盛り付けは食欲だけでない、何かを満たしてくれるのです。

 

 

しかし、その盛り付けは果たして、芸術だと言えるでしょうか?

 

 

 

まあ、私がこういう時点できっと、私の中では無理なのでしょうね笑

 

芸術は前回の記事で熱く語りましたので、今回は触りだけにしますので、読んでいらっしゃらない方は是非読んでくださいな

 

まず、食事は根本的な目的として、「栄養補給」 があります。これは生物が生きていく上で共通することです。

しかし、いかなる芸術も目的はすべて「伝達」に集約されます。すなわち、芸術はよく言われる様に、自己表現の具現化したものだと言えます。

一方食事は、その原初的な理由から絶対に離れることができないゆえに、副次的な要素でしか「伝達」を組み込むことが出来ないのです。

あくまで美しさは目で食事を楽しむ、という論理的ではない感覚的なものです。もちろん芸術は感覚的にも受容すべきですが、そこには理論的に構築された、美へのセオリーがあるのです。

 

 

残念ながら、食にはそこまでのセオリーが未だに出来ていないですし、これからも未来永劫作られることはないでしょう。

なぜなら、食は根本的な目的によって、その役割を既に果たしているからです。

 

結論を急ぎましたが、食は常に口に入り、消化されることで、目的を達成されるのです。

 

では、さよなら、さよなら、さよなら